奈良 風俗 奈良町ロマン倶楽部

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奈良町探訪の最近のブログ記事

燈花会 3

なら燈花会も本番真っ最中です。

私は奈良公園の中までなかなかいけませんが、猿沢池近辺はこんな感じ。。

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池の周りは結構(非常に)人の行き来があり、写真を撮るのも一苦労でした。

アベックの3脚を蹴飛ばしたり、女の子を移そうとしている男の人の前を横切ったり・・

ワザとではないんです。でもたくさんにらまれました。

折角の燈花会なんだから、心を広く持って笑って許してください(^^;

決して、ワ・ザ・とではないんだから。。

で、刺すような視線に、ふと後ろを振り向くと(ワザとらしい・・)、
こんなものが・・

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お地蔵さんの団体が船に乗って燈花会見物?

な、分けはなく、実は猿沢池横を流れる率川に浮かぶ尾花谷地蔵尊(率川の船地蔵)です。
普段はほとんど気づかないんですがこの日(8/6)とお盆(8/16)に灯りが入ります。

昔、大雨などでここに流れ着いた無縁仏を祀った物だそうです。

閑話休題・・

蒸し暑いこの日、ふと空を見上げると。

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こ~んな月が・・

この満月をみてアナタは何を思います?

花札?
ウサギ?
かぐや姫??
ひょっとして、狼の血が騒ぎ出します???

そんな時は当倶楽部へ・・
かぐや姫がお待ちしております m(_ _)m

若草山

若草山に登ってきました。

いや、正確には登ろうとしました。

若草山は、元は三笠山といったそうです。

日本海海戦で東郷元帥が乗艦した連合艦隊旗艦が「三笠」ですがこの山から名前をつけています。

そういえば「大和」も奈良地方のこと・・

なぜ、三笠山⇒若草山になったのか?

1935年、三笠宮家が創設されたため、恐れ多いということで若草山と改名したそうです。

ややこしいのは、若草山の南にある春日山で、別名・御蓋山と書いて「みかさやま」とよみます。

恐れ多いのなら、こっちも変えろよ。。といいたいのですが、別名・通名はお役人さんとしてもいかんともしがたいのでしょうネ。。

で、奈良公園の東大寺の入り口のところを入らずに東北東方面を望むと
こんな遠景が見えます。

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「東北東に進路をとれ」でズンズンゆるい上り坂を登って行きます。

で、入山口の事務所前にいくと、

nyusankuti.jpg

ありゃりゃ 閉・山・中 ですって。。

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まあ、解っていたんですけどネ。。(ホントです、負け惜しみじゃアリマセン)

9月まで閉山期間なんですね

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で、そこから奥春日遊歩道に入りました。

yuhodo.jpg

じつは、この道を3Kほど登ると若草山の頂上にいけるのです。

でも、開店時間が近づいてきたため今日はここまで・・・

下は「進入禁止」、上はOK、まるでうちのような・・・
(また、恐れ多いことをいってしまった・・・)

燈花会 2

なら燈花会が近づいてきました。

ロウソクの募金も始まって
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こんな感じで灯篭も並べられてきました。

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近づいてみますと

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と「なら燈花会」のマークがキレイ
で、中をのぞいてみましたが・・

ありゃりゃ・・・
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電灯って・・
まあ、足元を照らすための用心ということで、ヨロシク・・

燈花会で使われるローソクは最初のころは、普通の パラフィン が使われたものだったそうですが、最近は自然にやさしいパーム(椰子)油や自然由来のものを素材として
万一、鹿が食べても害にならないように配慮されているそうです。
オ~イ
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何でも食うやっちゃな・・

公園内には、こんな雰囲気のいいお茶屋もありますので、探してみてください・・

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では、当倶楽部スタッフがこの期間中着用予定の「ゆかた」のイメージをどうぞ
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ハーイ、そこのあなた・・、起たないでクダサイ。。

(イヤ、起てないで・・・)

燈花会

正しくは、なら燈花会といいます。

 

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新しい催し物で、1999年に始まりました。

年々規模は拡大し、当初、一万本@一日のロウソクが、今は2万本を越えています。

近くの興福寺・猿沢池でも行われ、幻想的な雰囲気に罰当たりな私でも、ウットリと引き込まれるものを感じます。

おすすめは、浮見堂(浮御堂)。

 

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水上にロウソクの灯で浮かび上がるお堂は一人で見てもロマンチック。。

一人で見ていて寂しくなったら。。

どうぞ当店へおいでください。

燈花会にあわせて8/3~8/17くらい(アバウトですみません)は浴衣を準備しております。

姉妹店の TOP-LADY でも「ゆかたまつり」でスタッフはゆかたでサービスさせていただきます。

少し解けたゆかたの前合わせから、あなたのイケナイ手で、かわいい乳首をさすってあげてください。
(古典的・・・)

奈良町ロマン倶楽部でも同期間、ホテルまでの行き返りをゆかたで行うことを検討中です。

よろしければ、貴方もゆかたでご来店いただきホテルまでの短い道のりではございますが、
「ゆかたのカップル」はいかがでしょうか?

事務所で着替えていただいても結構です。

ただ、準備させていただきますゆかたには限りがございますので、あまり乱暴なプレイをなされますと
ゆかたの痛みにより、イベントの早期終了につながります。

奥ゆかしい、ソフトなプレイでお願いいたします。

近日、ゆかたのイメージ写真をUPいたしますのでお楽しみに・・・

平城京

平城京

少し、今の奈良の礎となる、平城京について考えて見ます。
(珍しく、高尚な出だし・・)

今回は、
来年遷都1300年だし、平城京の成り立ちについて・・

昔々、大和朝廷には都はありませんでした。
代々の天皇の居宅で政務を行っていたため、天皇が変わるたびに政庁も変わりました。

この体制が大きく変わったのは、白村江の戦い以後です。

朝鮮3国のひとつ、百済の存亡をかけた戦いでしたが、唐・新羅の連合軍に、百済・日本(倭国)の連合軍は
完敗し、極東アジアの政治・軍事情勢が大変化を起こした時期です。

藤原鎌足とのコンビで実権を掌握していた時の権力者、中大兄皇子ですが、
唐の軍事力に恐れをなし、唐・新羅の侵攻に備え、築城を行い、兵制・戸籍を整備して「大化の改新」以後の
中央集権化を推し進め、万一の場合まだ滅んでいなかった高句麗への亡命も視野に入れ、都を瀬戸内海
から見た奥地、琵琶湖畔の大津に移したのです。(大津京)
*このあたりの事情は 小説「消えた王国」 が面白く読めます。

兄(中大兄皇子)に冷遇され、あまつさえ恋人(額田王)まで兄に奪われた大海人皇子(天武天皇)は兄の死後
反乱(壬申の乱)を起し、大津宮を滅ぼした後、藤原京に都を移します。

そして、皇位の正当性と権威付けのため、自らの呼称をそれまでの「大王」から「天皇」に変えました。

しかし、急ごしらえの藤原京はすぐに手狭になり、藤原不比等を中心としたプロジェクトチームは
さらに大きな都を計画、710年平城京に遷都したのです。

平城京は
1)極東アジアの政治・軍事情勢のドラスティックな変化
2)それに伴う(対抗した)「倭国」内の急速な中央集権化
の流れの中で誕生したのです。。

平城京は、中大兄皇子があれほど恐怖した唐の都長安を参考にしており、
「平城の地四禽図に叶ひ・・」と清龍(東)・朱雀(南)・白虎(西)・玄武(北)
の風水思想を基にしています。
**ヨン様の「大王四神記」にも出てきますよね。。ヨンさま、凛々しかった。。

このようにして、遷都した平城京ですが、都として機能したのは、長岡京に遷都されるまでのたったの74年間でした。

短いというか、もったいないというか・・

もったいないと思ったのは私だけでなく、
810年9月6日、平城上皇は平安京を廃し平城京へ遷都する企て(一種のクーデター)を起しますが、未遂に終わっています。

平城京を考えると、どうしても中大兄、大海人の兄弟と、恋人・額田王に想いが及びます。

今回の〆は
「茜指す 紫野行き 占野行き 野守は見ずや 君が袖ふる」額田王
これに応えて
「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 吾恋めやも」大海人
ああ浪漫だ・・
あなたも奈良町ロマン倶楽部で「忍ぶ恋」をどうぞ・・

五重の塔

奈良町地区で五重の塔といえば、興福寺の五重の塔


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この写真の構図は絵葉書や、パンフレットでよく見かけるのでは。。

よく五重の塔、三重の塔(これも興福寺境内にあります)とかいいますが、
何のために建てられたのでしょうか?

五重の塔、三重の塔はインド古代仏教に起源を持ち、仏舎利(釈迦の遺骨)を祀るために建てられた建物です。
古代インドではお椀を伏せたような形でしたが、中国、朝鮮をへて、日本に至る過程で、高層化して行ったといわれています。

日本では、ほかに九重塔、十三重塔などがあり、高さ(というか層の数)を競っていたのかも。。

塔の内部は基本的に人は上れません。上がれるようには作られていないのが普通です。

以前、大阪の四天王寺の五重の塔に登りましたが、鉄筋コンクリート製で近年、再建されたものでした。

人が上れないなら、何のために作られたのか?

先にも書きましたが、これらの仏塔はお釈迦様の遺骨をお祀りするためのもので、先っぽのアンテナ
(相輪)の一番先っぽ(宝珠)にお釈迦様の遺骨が納められています。

で、境内に入れない一般の人々が離れた場所から参拝できるように建てられたものです。

下々の者は境内に入れないが、五重の塔の先っぽにお釈迦様の遺骨があるから遠くから拝みなさい。
という、暖か~い、配慮です。

ちなみに、四天王寺の五重の塔にはお釈迦様の遺骨と聖徳太子の髪9本が納められているそうです。

さて、奈良町ゆかりの元興寺にも五重の塔はありましたが、今は礎石(基礎)のみが残されています。

 

gankouji01.jpg gankouji02.jpgのサムネール画像

1859年に焼失したらしいのですが、とすると、先っぽにあったはずのお釈迦様の遺骨はどうしたのでしょうか??
塔とともに消失したのでしょうか?

元興寺には五重小塔というものが現存し、まあ、ありていに言えば、五重の塔の模型なんですが、
「工芸品」ではなく「建造物」として国宝に指定されています。

さて、古今東西、あの世界では、塔は男性、門は女性を表します。

で、興福寺の五重の塔のお相手は??
と考えたところ、朱雀門ですか??
平成10年に再建された、朱の色も鮮やかな美女です。

片や、貫禄十分・男盛りの五重の塔ですが、同じ興福寺境内の三重の塔が文句を言いそう。。

でも、五重の塔の息子のようなものと考えれば・・・
(ピピ~・イエローカード)

鹿

奈良と言えば、鹿

セント君の頭にも鹿の角が生えています。

**恥ずかしいので遷都1300年祭が早く、無事に、終わりますように南無、南無

昔、近鉄奈良線の電車には鹿のマークのプレートがついていました。

で、お決まりの、なぜ鹿なの?

昔、藤原不比等(史)=鎌足の次男=、=紀香との関係は不明=
が春日大社を創建するとき、茨城県鹿島神宮の神が白鹿に乗って春日山に入ったという
言い伝えから、神の使いとして奈良では大切に保護されてきました。

う~ん、アントラーズだったのね・・

この鹿たちは、誰かに飼われているわけではありません。

自然の、野生のシカたちです。

民家の庭で芝生を食べていたり、駐車場で糞をしてたりします。
鹿の糞はまん丸ですぐにわかります。

そういえば、昔、吉永小百合が「鹿の糞」を歌っていた記憶があるのですが、
「ふん、ふん、ふんふん、鹿の糞」って、アイドル(昔は・・)に何を歌わすネン・・て感じでした。
事務所(日活か?)よくOKしたよな・・

話を、戻して奈良の鹿はとても大事にされています。

人間が自分たちに危害を加えることはないこともよく知っています。

ですから、奈良公園一帯では食物連鎖の頂点にいるのと同じです。
(昔は野犬に殺された鹿もいたらしい=未確認情報)

で、少し凶暴です。。

 

shikasan01.jpgこんな鹿はかわいいんですが・・

鹿せんべいをやっていたら指をかじられるくらいのことはよくあることで、
(怪我をした話はあまり聞きませんが。。)

早くよこせとおなかを噛まれた中学生もいます。
(これも、怪我まではいっていないようです。。)

昔は、少し深刻な話もあって、自分の家の前で鹿が死んでいたら死罪になったそうです。
(江戸時代)

で、奈良町の人たちは、朝早くおきて、家の前に鹿が死んでいないか確認し、
もし、鹿の死体があったら役人が来る前にどこかに隠したらしいです。

「早起きは3文の得」はここから来ているらしい(これも未確認情報)

いまでも、国の天然記念物に指定されています。


 

猿沢池

猿沢池

奈良町ロマン倶楽部の近くにある猿沢池。。

いや、奈良町ロマン倶楽部が猿沢池の近くにあるんですが・・

 

sarusawa01.jpg別に、サルがいるわけでもなく、ただ、亀や鯉が泳いでいるだけの池なんですが・・

なぜ「猿沢」なのか???

調べてみると(Wikiで)
「猿沢池の名前の由来は、インドのヴァイシャーリー国の猴池(びこういけ)から来たものと言われている。猴の字義としては、尾の短い種類のサルをさしている。」
とありました。

うん、よくわかったような、わからないような・・・

で何でヴァイシャーリー国が出てきて、猴池なのか?・?・

わからないです。

もう少し調べて報告します。

猿沢池には7不思議があるそうです。

1.澄まず
2.濁らず
3.出ず
4.入らず
5.蛙はわかず
6.藻は生えず
7.魚が七分に水三分

なんのこっちゃ~

つまり、この池は
済みもせず、かといって濁りもひどくなく   **ここで、1、2
インレット(流入する川)、
アウトレット(流出する川)もない      **ここで、3,4
のに水位が一定していて
何故か蛙はいない(亀はいる)、藻も生えない    **ここで、5,6
ときましたが、
7.魚が七分に水三分
は説明が必要です。

猿沢池は興福寺が作った人工の池です。
なぜ、池を作ったのか?

見て楽しむためか?
いや、ちゃんとした目的があったのです。

仏教行事の放生会(ほうじょうえ)として毎年4月17日ここに魚を放流するために作られたそうです。
放生会は殺生戒と輪廻思想から出てきたものなんでしょうが、他所から魚を獲って、運んでくる間に何尾かは死んでしまうだろうに。。
いまの、キャッチアンドリリースの考え方では、釣った魚は水から出さないほうがいいとされているんだが・・

まあ、形として放流を見せることで一般衆生を「教導」することが目的だったんでしょうね。

まあ。仏教を治世の道具として取り入れた平城京の朝廷の「形」でしょうね。

つまり、
7.魚が七分に水三分
は、毎年たくさんの魚を放流しているのに魚で埋まる(溢れる)ことはない、ということらしいです。
誰かが夜中にとって淡白源にしていたか、狭い池に無理やり放り込むからストレスで死んでいるだけだと思うのですが・・

ここで、気がついたんですが、「ヴァイシャーリー国の猴池」でも同じことをやっていたのでは・・

そのあたりがわかったらまた書きます。

これ以上罰当たりなことを書いたら猿沢池の亀にあそこを噛まれそうなんで・・
(ん・・逆か?)

奈良町について

奈良町の歴史は、平城京の時代に始まります。

蘇我馬子が日本最古の本格的仏教寺院として建立した飛鳥寺
が平城京遷都で奈良に「元興寺」として移されました。

その元興寺の境内が様々な産業とともに発展し、今日の奈良町の礎となりました。

この奈良町一帯は先の大戦の戦禍を免れたことから、奈良市旧市街地として栄え
現在、「奈良町都市景観形成地区」の指定を受けています。

この地域では、町屋保存活動が活発で、町屋の原型を保ちながら現代風にアレンジされた
お店、文化施設、社寺が点在し、細かく入り組んだ路地を巡りながら、
歴史的の流れと重みを楽しむ人々で賑わいを見せています。

実は、「奈良町」という地名はありません。
ですから、普通の地図には載っていません。

奈良町はこの歴史を感じることのできる町並みの通称です。

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